うえたけPCクラブ
パソコンと学習支援をつなげる
これはなに?のはなし
パソコンが教育の場にいよいよ本格的に入ってきます(2019年5月現在)。大人は仕事で使っているだろうけれども、子どもに使い方、そもそも『これって何?』の話しなどすることはまれです。だいたいその大人自身がそんなこと習っていませんし、学校を卒業してまで自習をしている人はそういそうもありませんから、だいたい無理です。では学校はどうかというと、植竹小学校の現在(2019年5月)で、生徒740人にパソコン40台。週に一二度授業があるかどうか。教える方は専門家と伺っていますが、スクラッチ(文科省は2020年度からスクラッチを中心に据えるそうですが)なので、『これって何?』の部分は、相変わらずブラックボックスのまま。
中学校でもパソコンの本質に触れるような授業がされるのかしら?と思います。小学や中学の授業の中身はいわば人類の発見や発明や現象などの古典的なことを教えるのが主ですが、パソコンは人為的の塊です。全く毛色が違うもの。エクセルやワードの使い方を教えるのとも違います。それに、極めて論理的にできているので、日常的に論理的な思考ができなければ、パソコンはめんどくさい電気を食う機械です。この二つ、人為的なものと論理的なものは、日本の学校が苦手にしていることだと言ったら大げさかな?しかも、子どもの方が先生より知っていることが多いという現状が、これに大きくのしかかってきます。これを教育の中でやろうと言うのだから(ちょっと遅すぎる出発に思うけど)容易ではないことだけは想像がつきます。
『これって何?』のことを伝えることが、学習になり学習の支援にもなると信じてやってみたいと思います。
ここまでのはなし
いろいろあった。息子が小学二年で選択的登校(学校に顔を出すことが珍しい)を始めたので、どうしたらいいものかと、あれやこれや考えてみてやってみた。人と会話する、何かを伝える受け取るということを練習する場はなんとか確保したいと思って、「国語」の個人指導をしてもらっていた。ところが、場所の問題と月謝の問題とその他の問題で(なんと問題が多いことか!)それを続けることがなかなか困難。では、一つもうちょっと外に出てみようということで、植竹町から外に飛び出してみることにしました。
学校に行かないと、何が欠けると思ったかというと、
- 友達(学校はクラスメートや同学年の子ども全てを「お友達」と呼ぶが)が、作れない。
- 他人と話す、聞く、何かを伝える、伝えてもらうといった場面が、圧倒的に減る。
- 給食がなくなる。(従って家庭で用意しなくてはならない)
- 学力がつかない(かもしれない)。
- 体力がつかない(この二年間でそれを実感)。
- 視力が悪くなる(どうしてもパソコンの類の画面を見る時間が長くなる)。
まあ、実際には心配したほど(何を基準にしているかはあるが)ではなさそうだと最近になって思う。
- は、学校に行かない子どもとその親との何人もの出会いがあり、友達らしい大切な人ができることを知った。
- は、そのような場面を大切にすれば、量より質が大事なことがわかる。
- は、致し方ない。いっしょに昼食をとることでなんとかなる。
- は、そもそも学力がない子は学校でも置いてかれるから、実質変わらない。
- は、体力はどうにもならない(ひきこうもりだから)けど、笛一つで軍隊のような動きはしないので、その点はよいところ。
- は、目が悪くなるということを本人が自覚するようになるまで待つしかない。不自由な思いをするかどうかは、本人が決めればいいことだから。
ということで、とりあえずの日常はそれなりになった。昨年度から、籍のある学校のクラスに、出前マインクラフトとか、出前ラジコン飛行機などをやった。担任の先生の強力なバックアップと、学校の理解のたまものでだ。至ってクラスの子達に人気がある。この「出前」が殊の外おもしろいことに気がついたので、そのようなことを準備する場の確保と、これに協力してくれる人を求めて、街に出ようと考えた。踏み出さなければ出会いはないと信じて。